第1回 今の[よのなか]を考える
もはや、親と同じ生き方はできない
いまの[よのなか]=社会、を考えるとき、まず押さえておかなければならないのは、「子どもたちは、自分たち親の世代と同じ生き方はできない」ということです。
もはや、サラリーマンか公務員になれば、中流かそれより少し上の生活が保障されるという時代は終わりました。豊かな生活、約束された報酬をめざして、みんなが同じ方を向いてがんばるという「成長社会」の図式は、もう過去のものになったわけです。
これから10年の間に、社会には、わたしたち親が生きてきたそれとは全く比べようのない、大きな変化が訪れようとしています。それは、日本が既に「成熟社会」に移行していることの証でもあります。
たとえばビジネスの場においては、ほぼすべての業界で、この10年の間に、20社あった会社は10社になりました。今後10年から15年で、その数はさらに半分になるでしょう。さらに言えば、そのうちの半分は外資系にとって替わられるかもしれません。実際、ビジネスマンのお父さんの中には、自分の勤める会社が外資系と合併し、上司が外国人になったという人もいるのではないでしょうか。
公務員も例外ではありません。近年の市町村合併の結果、必要とされる人員の数は、今後7割ほどに漸減していくでしょう。中央省庁にも同じことが言えます。
このように、これから10年の間に、事務職に就く人=ホワイトカラーの数は確実に減っていきます。社会全体の流れですから、これには逆らえません。したがって、「いい大学に進めばいい会社に入れて、いい生活ができる」というこれまでの図式は、すべての子どもには当てはまらなくなってくるわけです。親がサラリーマンか公務員の家庭の場合、子どもが今の親のような生活ができる割合は半分に減ると思った方がいいでしょう。このことはしっかりと意識しておくべきです。
そうは言っても、今その立場にあるお父さん、お母さんたちにとって、このような変化はあまり実感できないかもしれません。これまでの成長社会で支配的な位置を占めてきた価値観から抜け出すのは、そう簡単なことではありません。また、医師や弁護士など、高収入を得られる職、いわゆる「勝ち組」に我が子を入れたいと考える親も少なくないでしょう。しかし、そこに入れるのは全体のごく一部に過ぎないことも考えておくべきです。
いずれにしても、社会が変化の只中にあるのは事実です。子どもの受験に熱心なお父さんが最近増えていますが、それは、「自分たちがもっているような価値観では子どもは育ち得ないのではないか」ということを、ビジネスを通じて敏感に察しているからではないかと思います。
子どもにとっては「生きにくい」よのなか
では、子どもの目から見た[よのなか]とは、どういうものなのでしょうか。
一言で言えば、今の社会は「超コンビニ化社会」です。生活に必要なものは何でもそろい、必要でなくても、便利なモノが身のまわりにあふれています。
超コンビニ化社会では、コミュニケーションすら不要です。駅前のコンビニでマンガ本を立ち読みし、おにぎりとコーラを買って出てくるまで、もはや一言も発する必要はないでしょう。友だちとの会話もケータイメールの交換で済ませられます。親の世代には考えられなかった、すごい技術やモノがどんどん発明され、あらゆるものが可視化された、快適で便利な社会。その意味では、非常に「楽(ラク)な」社会とも言えます。
しかし一方、今は子どもが「夢」をもつのが困難な時代です。
昔は、コンクリートや鉄でできた「夢のような」モノが続々と登場してきたおかげで、夢のネタがたくさんありました。もちろん今も技術開発はどんどん進んでいますが、その領域は、たとえばナノテクノロジーや通信技術など、目に見えにくい分野に移行しています。だから子どもは、昔のような素朴な驚きや感動をもちにくい。誰にでもわかる言い方で夢を語るのが難しくなったのです。
また、超コンビニ化社会は、人間の工夫や人間同士のコミュニケーションを奪う社会、いわば「人と人の間の人情が薄れる」社会です。人間の集団のエネルギーをヒシヒシと感じることができるのは、発展途上国のような成長社会においてです。そんな中、子どもが「人としての居場所がない」という感覚を抱いたとしても、それは至極まっとうなことだと思います。子どもにとっては、自分を確認できる場所が、今やメールのやりとりの中ぐらいにしかないのかもしれません。
今の子どもは感動が薄いとか、夢をもっていないなどと言われますが、わたしは当然の結果ではないかと思います。
あまりにもラクに生きられるために、かえって生きにくい。子どもは、そんな社会に生きているのです。
わたしには、今の子どもは、ある種の無常感すら抱えているように思える。だから、大人は、そのことをもっと理解して教育しなければいけないでしょう。
日本の社会は「成長社会」から、個人がそれぞれの人生観や仕事観、幸福感をもち、その実現をめざす「成熟社会」へと移行しました。そこでは、「万人にとっての正解」ではなく、個人が自分自身の価値観に照らして納得のいく「納得解」を求める技術が大切になってきます。次回は、それについてお話します。

2008年1月25日


























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